鈴木よしひろの横顔
理系出身、PTA、中小企業経営、そして地元の県議~代議士として20年…
1962年11月10日、三郷市生まれ
大家族の元で育ち、家業に忙しい両親にかわり祖父母に躾けられる
私は、1962年(昭和37年)埼玉県三郷市戸ヶ崎で生まれました。鈴木家は代々農家を営み、その後は会社を興し、大家族で暮らしていました。家業に忙しい両親に変わり、祖父母に育てられました。祖父は昔気質の厳しい人で、叱られると、かばってくれる曾祖父のことが大好きでした。
中学~日大第一高等学校
少林寺拳法に打ち込み心を鍛える、飲食店のアルバイトなどで社会勉強
中学から少林寺拳法に打ち込みました。単なる格闘技ではなく、修行を通じ、強さと思いやりを育てるところに惹かれました。「力愛不二」「自他共楽」という開祖の言葉は今でも指針です。学生時代は家業の手伝いはもちろん、すし屋見習い、バイク屋での修理・整備、飲食店で皿洗いのアルバイトなどをしたことが社会勉強となりました。
日大理工学部でケミカルリサイクルを研究
理系出身の経験を活かし、いまも新素材の研究に携わる
日大理工学部ではケミカルリサイクルを研究。化学者として将来を考えながらも縁あって政治の道に入りました。しかし、現在も理系のキャリアを活かし、新素材の研究開発に携わっています。私の理数系の発想、理論やプロセスを大切にする考え方はこの理工学部時代に培われたものだと思っています。
22歳で結婚、2児の父
PTA活動を通じて、子育てに地域の助け合いの必要性を痛感
22歳で結婚、やがて2男を授かりました。忙しい仕事の中でも小学校のPTAに参加するうちに、周囲に推されてPTA会長になりました。子たちによりよい教育環境を!と活動する中で、地域での助け合いの必要性を痛感。教育政策に取り組む原点はここにあったのかもしれません。
故・土屋義彦参議院議員・知事の秘書として政治修行
はじめての経験に戸惑いながらも社会を変える政治の大切さを痛感
大学卒業後、紹介されて故・土屋義彦参議院議員の秘書になりました。最初は書生として庭掃除から犬の散歩、運転手、土屋先生の靴磨き、鞄持ちをしながら、ナマの政治の姿を学びました。政策を実現するための土屋先生の迫力と思いの深さを見てホンモノの政治家の凄さを感じました。
県議会議員4期~改革を志向して国政へ
保守系改革派の旗を掲げしがらみを排除し、現場主義を貫く
36歳の時、青年会議所や地元の仲間たちに推され、県議会議員に初当選。文教委員長や自民党青年部長を歴任し、4期13年。2009年の政権交代で自民党の下野を切っ掛けに、世襲反対、改革を訴えましたが受け入れられず、離党し、衆議院選挙に出馬し、初当選、以後、3期を務めています。
略 歴
- 昭和37年、三郷市戸ヶ崎生まれ
- 三郷市立吹上小、栄中、日大一高、日本大学理工学部卒
- 参議院議員(故)土屋義彦秘書から埼玉県議会議員(4期)
- 県議会文教常任委員会委員長、暮らしの安心・安全対策特別委員会委員長、公社事業対策特別委員会委員長、埼玉県議会最先端技術振興議員連盟幹事長、自民党埼玉県連青年部長など歴任
- 平成24年12月 衆議院議員初当選
- 平成26年12月 衆議院2期目当選
- 平成29年10月 衆議院選挙で62,733票を戴くも苦杯
- 令和3年1月 国民民主党埼玉県第14区総支部長に就任、現在、活発に政治活動中
- (社)三郷青年会議所OB会員(第19代理事長)、(一社)埼玉県ペタンク・ブール連盟顧問、三郷リトルシニアチーム会長、三郷市サッカー協会会長、三郷市囲碁将棋連盟顧問、市内小学校PTA顧問、(社)越谷法人会青年部元役員、三郷市スポーツ少年団元顧問、県立三郷高校PTA後援会元顧問を歴任
国会での役職
令和6年1月
衆議院:経産産業委員会委員、消費者問題に関する特別委員会委員、東日本大震災復興特別委員会委員
令和5年1月
衆議院:経産産業委員会委員、法務委員会委員
令和4年1月
衆議院:経済産業委員会委員、法務委員会委員、科学技術者•イノベーション推進特別委員会委員
令和3年12月
衆議院:法務委員会委員、経済産業委員会委員、科学技術・イノベーション推進特別委員会委員
平成28年9月
衆議院:経済産業委員会委員、科学技術・イノベーション推進特別委員会理事
平成28年1月
衆議院:内閣委員会委員、政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員
平成27年1月
衆議院:経済産業委員会理事、文部科学委員会委員
平成26年9月
衆議院:経済産業委員会理事、科学技術・イノベーション推進特別委員会委員
平成25年1月
衆議院:農林水産委員会委員、科学技術・イノベーション推進特別委員会委員